齋藤茂吉

 今日は愛國歌について一言を徴せられたが、大東亞戰爭の勃發して以來、國民が奮つて愛國歌を讀み、朗誦し、萬葉集に載つた、『海ゆかば水漬く屍山ゆかば草むす屍大皇の邊にこそ死なめ顧みは爲じ』や、『けふよりは顧みなくて大君の醜の御楯といでたつわれは』の如きは、全く人口に膾炙せられるに至つた。また、私の先輩友人等から、雜誌により、著書により、ラジオ放送によつて、愛國歌がつぎつぎに發表せられたから、私が今日愛國歌について答へるとしても、自然重複してしまふのではあるまいかとおもつたが、併し縱しんば重複してしまつても、或は幾たび同じ歌が吟誦せられるにしても、あへて餘計だといふわけ合のものではあるまいから、左に、十人あまりの人によつて作られた愛國歌を抽出して置かうとおもつたのである。

 選定の結果、數萬といふ資料の歌がただ百首になるのであるから、實に澤山の推薦歌が選に漏れたことになり、殘念至極であるけれども、これは大方君子の海容をねがはねばならない。
 選についての感想を問はれたが、自分としては特に申すことはない。ただその一、二を強ひて申すなら、萬葉集で、遣唐使隨行員の一人の母の作、『旅びとのやどりせむ野に霜ふらば吾が子はぐくめ天の鶴むら』の選ばれたのはたいへん氣持がよかつた。この歌はまことに純粹でよい歌だが愛國歌といふ上からは、どうなるか知らんと心配してゐたが、選定に入つたのはまことに氣持がよい。それから、紀清人の『天の下すでにおほひて降る雪の光を見れば貴くもあるか』といふ歌の選ばれたのもまたさうである。この歌も愛國歌といふ字面にこだはればどうかと思ふのであるが、作者の作歌動機をつきつめて行けば愛國の心に到るのであつて、これの選に入つたのも嬉しかつた。

大宮の内まで聞ゆ網引すと網子ととのふる海人の呼び聲 長奧麻呂
 この歌は長忌寸奧麻呂(傳記未詳)が文武天皇三年正月、難波宮に行幸あそばした時に供奉して、詔を奉じて詠んだものである。(大體さういふ學説になつてゐる)。
 一首の意味は、魚の澤山にとれた網を今引かうとして、漁師が網を引く者ども(網子)を大勢集めて準備指導するその聲が、離宮の御殿の中まで、ようく聞えてまゐります。(まことに盛んでおめでたいことでございます、といふ意が言外にこもつてゐる)。
 大漁があつて、漁師を中心に網引く群衆がさかんな聲をあげてゐるのを御聞きあそばされ、興深く思召たまうたときの詔であると拜察し奉るのである。字面は佳境讚美であるが、歌調の大きく堂々として居り、應詔歌の體を以て謹直眞率である。海國日本漁業發展を祝福し、同勢協和の聲としてもまた愛誦し得るものである。