宮本百合子2

 この三つの点を相互に縫って流れているものの間に、こんにちのアララギ歌人すべての課題がひそんでいると感じます。現代は、アララギがかつて現代短歌史にわけもった積極の意義の故に、その歩みを制約する流派としての諸問題が、見なおされる時期に入っていると思われますが、いかがなものでしょうか。
『仰日』の作者のみならず、わたくしたちは、散文・短歌何によらず、その道での常套で完成したのでは意味がないと思います。まして『檜の影』の同人でいられる方々の御生活、生きゆく思いの痛切なことは、言葉をつくせず、それだからこそ、存在のあかしとして作歌されつつあると信じます。それは格調の緊密なアララギにひかれるのもよくわかります。しかし緊密であるというのは、歌のこころ、歌の世界がひしとうち出されてのことであって、格調を整える語彙というもの、用語法というもの、ましては型であってはつまりません。
 短歌は日本の民族がもって来た文学のジャンルですから、それを破壊するより、そこに新しい真実と実感がもられるように、歌壇の下らない宗匠気風にしみないみなさまの御努力が希われます。
 登龍のむずかしいアララギ派に云々とかかれている方のお言葉を拝見して、感想をおさえ得ませんでした。ここに古風なギルドがあります。枠にはまった流派の完成に近づこうとつい努力する危険があります。『檜の影』のどのお一人が、どんな流派に属する人生苦をもっておられるというのでしょう。
 率直ですこし荒っぽいかもしれないわたしの感想が、散文をかくものからの感想として何かのお役に立つならば幸であると存じます。
 中野重治の『斎藤茂吉ノオト』をおもちでしょうか。窪川鶴次郎の『短歌論』をおもちでしょうか。おハガキ頂きませば『仰日』の御礼のこころとしてお送りいたしますが――
 わたくしはふとっていて、作品を通しての夫人はほっそりと小柄なお方のように思えます。よろしくおつたえ下さい。夫人はどんな本をおこのみでしょうか。

『集団行進』をいただき、大変に興味ふかく、得るところも多く拝見しました。巻頭の序文によると、この集は最近一年間において短歌をつくる労働者作家が非常にふえたことを一つの特徴として示しているとのことです。
 この一年と云えば私が不自由な拘禁生活を自身の深い経験の一つとして過した月日であり、その間に外では、短歌の形で自分たちの生活の感情を表現しようとする意志が勤労階級の中から高まって来た月日であったと考えると、私にとってはまことに意味深い示唆が与えられます。この一年間の私たちの生活というものは、歌人でない者にも何かの形でその心持をうたわずにはおれない思いをさせる程のものであったと云うことが出来ましょう。今日の現実は、風流なすさびと思われていた三十一文字を突破して、生きようと欲する大衆の声を工場から、農村から、工事場・会社・役所から、獄中からまで伝えて来ている。その点で、この二百頁に満たぬ一冊の歌集がきょうの日本の歌壇に全く新しい価値をもって現れているという渡辺さんの言葉は確に当っていると思われます。そして、それぞれの歌がそれぞれの作者の生活の面を反映させているなかにも、私が心を動かされたのは、「工場から」(岡村浄一郎)、「工場の歌」(平野大)、「脂」(速水惣一郎)、「給仕修業」(烏三平)などのように、今日の日本に生きる勤労大衆の生活の歴史的な一つの道行き、過程をうたったものが、一つ二つでなくあることです。私は昔万葉集や金槐集(実朝の歌集)などを読み、なかなか感心したものです。きょう、短歌を作ろうとする人々にとって、これらの古典はやはり読まれ、研究されるべきものでしょうが、それは全くこの『集団行進』に集まっているような作者たちが生活そのものによって現代の社会に要求し示している新しい素質・主題を益々つよく冴えたものとして活かすためにだけ、学び、研究されるべきでしょう。芸術的な表現の力が、まだどの作にも十分具わっているとは云えないという序文の言葉は正しいと思いますが、私が短歌の素人として読んだ感じでは、例えば、

 彼の名は、イレンカトム、という。
 公平な裁きてという意味で、昔から部落でも相当に権威ある者の子に付けられる種類の名である。
 従って、彼はこの名を貰うと同時に、世襲の少なからぬ財産も遺された。
 そして、彼の努力によって僅かでも殖(ふ)やしたそれ等の財産を、次の代の者達に間違いなく伝えることが、彼の責任であった。
 混りっけのない純粋なアイヌであるイレンカトムは、祖先以来の習慣に対して、何の不調和も感じる事はない。
 彼は自分に負わされた責任に対して、従順以外の何物をも持たなかったのである。
 けれども、不仕合わせに、イレンカトムには一人も子供がなかった。
 心配しながら家婦(カッケマット)も死んで、たった独りで、相当な年に成った彼は、そろそろ気が揉め出した。祖先から伝わった財産(たからもの)を、自分の代でめちゃめちゃにでもしようものなら、詫びる言葉もない不面目である。
 自分がいざ死のうというときに、曾祖父、祖父、父と、護りに護って来た財物を譲るべき手がないという考えがイレンカトムを、一年一年と苦しめ始めた。
 そこで彼はいろいろと考えた。
 そして考えた末、誰でもがする通り、手蔓を手頼って、或る内地人の男の子を貰った。
 何でも祖父の代までは由緒ある武士であった[#「であった」に傍点]という話と、頭こそクサだらけだが、なかなか丈夫そうな体付きと素速(すば)しこい眼付きが、イレンカトムの心を引いた。
 その時、ようよう六つばかりだったその子は、お粥鍋(かゆなべ)を裏返しに被ったような頭の下に、こればかりは見事な眼を光らせて、涙もこぼさずに、ひどく年を取った新らしい父親に連れられて来た。
 今まで、話相手もなくて、大きな炉辺にポツネンと、昼も夜もたった一匹の黒犬の顔ばかり見ていなければならなかったイレンカトムにとって、この小さい一員は、完くの光明である。
 彼は、もう一生、自分の傍で自分のために生存してくれるはずの一人の子供を、確(しっ)かりと「俺がな童(わらし)」にした事によって、すっかり希望が出来たように見えた。